文は問いで展開させていくとよい。具体的な方法としては「なぜそういえるのか?」「だからどうなるのか?」「どうすればよいのか?」という問いを要所要所にはさみながら文を展開させていくのである。
なぜそういえるのか?
以前から主張していることだが、文章というのは基本的に問いに対する答えだからである。
人は問いが発せられるとその答えを探そうとするものである。その脳内に発生したモチベーションこそが論理を展開させる原動力となるのである。
もうおかわりかと思うが、じつはこの文章も同じ手法を使っている。
最初に「文は問いで展開させていくとよい」と主張した後、「なぜそういえるのか?」という問いで次の「文章というのは基本的に問いに対する答えだからである」という答えの文を導いている。
さらに次の「人は問いが発せられるとその答えを探そうとするものである」という文の前にも、よく読めばわかると思うが、「なぜそういえるのか?」という問いが隠されている。そしてここでは、「なぜそういえるのか?」というその問いに対する答えを「人は問いが発せられるとその答えを探そうとするものである」という一文から徐々に導き出そうとしているわけである。
そして、まさにいま書いているこの部分(「もうおかわりかと思うが」以降の文章)も「具体的に説明するとどうなる?」という問いに導かれて出てきたものであることはいうまでもない。
この「問い」は読者に疑問が残っている間は続ける必要がある。文章は問いに答えを提供するものであり、読者にその答えに納得してもらうのが目的である以上、次々と出てくる読者の問いに筆者は可能な限り答えなければならないからだ。そしてそれらの問いに答え、読者が「なるほどわかった」と納得してはじめて文章はその役割を完了するのである。
以上で「文は問いで展開させていくとよい」という主張に対する疑問はおおかた解消できたと思うので、次は「まとめ」に入りたい。
このように文章をどう展開させたらよいか、方向がみえず迷子になってしまったら、そこに問いをもってくるとよい。問いを間にはさみ、それを踏み石にすることで方向が明確になるし、書く方もはずみが出て書きやすくなる。その上読む方も論理が明確になり、理解しやすくなるというメリットがある。
(※「まとめ」は前文までであり、以下は補足である)ちなみに問いは明示してもしなくてもどちらでもかまわない。通常、問いはなるべく明示しないで隠した方が、表現としてはスマートだが、そうするにはそれなりの筆力が必要になる。どうしても隠せない場合、無理せずそのまま明示したほうがよい。むしろ読者にとっては問いが明示されている方がわかりやすくなるだろう。
補足
書くのに行き詰まったときはあらためて問い直してみるとよい。おおよそ上記のような問いで間に合うはずだが、具体的にどんな問いが適切かは文脈の流れによって異なる。
そこでまずは文脈に応じた適切な問いを探すことが必要になる。適切な問いを探すことができたらあとはそれに答えるだけである。
「回答不能である」ことも含め、まがりなりにも関連するテーマについて書いている以上、なんらかの回答は出せるはずだ。出せないようであればそのテーマについて書くのは諦めるか、あるいは出せるようになるまで深掘りすべきであろう。
売るためのマーケティングから課題解決のためのマーケティングを提唱する独立系シンクタンク「ミライニウム」を主宰するマーケティング研究者。コピーライター、雑誌ライター、プランナーとして30年以上にわたり、マーケティングの実践および研究を続けている。北軽井沢隣接宣伝研究所所長。