作文上達の鍵とその落とし穴
作文上達の鍵といえば筆頭に挙がるのが文のダイエットです。無駄を削ぎ落とし、できるだけスリムな表現にすることです。
しかし、ここには気をつけなければいけないこともあります。表現の削りすぎです。
たとえば、「私は部屋で音楽を聴いたり、ゲームをしたりして時間をつぶした」という文を「私は部屋で音楽を聴いたり、ゲームをして時間をつぶした」としてしまうようなケースです。「〜たり、〜たり」は定型的な係り受けですので、ここでは後ろの「たり」を省略してはいけません。
これは過剰なダイエットであり、ガリガリにやせているのに自分はまだ太っていると思いこみ、なおもダイエットを試みるようなものです。ある意味文章修行が邪道に陥ったことを示す危険信号です。
「そのくらいの間違い、まがりなりにも文章を書くような人であれば気づくのでは?」と思う人もいるかもしれません。
それが意外にそうでもないのです。しかもこの手のミスを犯すのは、どうやらただの素人よりむしろコピーライターを名乗る人に多いようなのです。
もちろん文章のプロであるコピーライターが、例文のような簡単な文でそのようなミスを犯すことは滅多にありません。が、ちょっと込み入った構造の文になるととたんに怪しくなります。
落とし穴に陥りやすいコピーライター
なぜコピーライターにその手のミスが多いのでしょうか。
ひとつには、コピーライターには文を短く切り詰める癖があるからではないでしょうか。限られた字数を最大限活用するには無駄な部分をばっさり切り捨てる必要があります。それを何度も繰り返しているうちに、切ってはいけないものまでついうっかり切ってしまうのでしょうーー。
実際、かつてコピーライターだった自分がそうでしたし、知り合いのコピーライターの文章にもやはりそうした傾向がみられました。
加えて、ここにはもうひとつの理由があるように思います。それはゲシュタルト崩壊です。何度も推敲を重ね、細部にばかり注意を向けていると、あるとき全体像が見えなくなり、部分とのつながりが途切れてしまうような瞬間はありませんか? それがゲシュタルト崩壊です。
ゲシュタルト崩壊はいわば一時的に視力を失う状態です。いかに視力のよい人であっても目をつぶったら何も見えなくなってしまうのと同様、ゲシュタルト崩壊に陥った人は通常であれば当然気がつく目の前の基本的なミスにも気がつけなくなってしまいます。
さらにいえば、文章作成という作業にはある種の「熱」が伴います。そしてそれは多くの場合、ゲシュタルト崩壊と連動しています。したがってその熱を冷まさないかぎり、ゲシュタルト崩壊から完全に立ち直ることはできません。つまりゲシュタルト崩壊から立ち直るには一定の時間がかかるのです。
そのため、とくに締め切りに追われ、推敲のための十分な時間がとれない場合などは、そうした基本的なミスに気づかないまま原稿を納入することになってしまいます。そうして後になってから間違いに気づいたものの一度活字になってしまった以上、後の祭りということになってしまうのです。
もちろん普通は、編集者や校正担当者がミスを補ってくれますので、そうしたライターの無能ぶりが直接世にさらされることはそう多くありません。しかしその裏には(昔の私を含む)一定数の残念なライターが存在していることも否めないようです。
まがりなりにもプロの肩書きをもつライターが初歩的なミスを犯してしまう理由ーー。そこにはこうした要因が、それもおそらくかなりの比重で影響しているのではないかと私はにらんでいます。
何事もそうですが、常に冷静かつ客観的な視点を持ちながら、極端に偏ることなくバランスを保つことーーまあこれがまた言うは易く行うに難し、なのですがーーともあれ文章作成においてもやはりそれが肝要なのかもしれませんね。
売るためのマーケティングから課題解決のためのマーケティングを提唱する独立系シンクタンク「ミライニウム」を主宰するマーケティング研究者。コピーライター、雑誌ライター、プランナーとして30年以上にわたり、マーケティングの実践および研究を続けている。北軽井沢隣接宣伝研究所所長。