広告は戦略である。
販促は戦術である。
広告は(売るための)仕組みを作ることであり、販促はそこに生まれたニーズに対応することである。
ただし、いうまでもないことだが、戦略、戦術というのは、何も広告やマーケティングに限った話ではない。
それは、あらゆるものに応用できる。少々えげつない話になるが、わかりやすいかと思うので、毛沢東を例をあげよう。
毛沢東は政敵を追い落とすのによく搦手を使った。整風運動や文化大革命がそうだ。
凡庸な政治家なら直接、政敵を攻撃するのだろうが、毛沢東は違った。毛沢東がやったのは、まず社会の風潮を自らに都合のよいように変えることだった。そして、その風潮を錦の御旗として、それに反する者、もしくは容認しない者を徹底的に叩くのである。
なぜそうしたのか?
そうすることで、自らの行動が個人的な怨恨によるものではなく、人民の意志であり、社会的正義にかなうものであるとアピールできたからである。そればかりではない。人民の意思を後ろ盾にすることでーーいわばそれをレバレッジにかけることでーー政敵に対してより強力な力でもって攻撃できたからである。
いうまでもないことだが、ここで搦手というのは、戦略のことである。それは「政敵を追い落とすための」仕組み(環境)を作る、ということである。
そうした仕組みさえ作ればあとは簡単である。
追い詰められ、手も足も出なくなった政敵を思う存分、叩けばよいのだからーー。これが戦術である。
このあたりは、さすが戦略論の天才といわれた毛沢東だけのことはある。
まあ、ここまでえげつないことには使って欲しくないが、ともあれ、戦略戦術というものがもつ可能性については、理解していただけたのではないだろうか?
売るためのマーケティングから課題解決のためのマーケティングを提唱する独立系シンクタンク「ミライニウム」を主宰するマーケティング研究者。コピーライター、雑誌ライター、プランナーとして30年以上にわたり、マーケティングの実践および研究を続けている。北軽井沢隣接宣伝研究所所長。