子供を広告に使うのはもうやめようよ。
私がこう思うようになったのには理由がある。どの店もみなハンで押したかのような子供を使った写真がこれでもかとばかりに出てくる楽天市場のオンラインショップの状況をみて声を上げざるをえなくなったからだ。楽天側のコンサルタントがそれを勧めているのか、あそこでは大きな商品を抱えて満面の笑顔を浮かべる子供の写真がもはや定番となっている。
それがプロの子供モデルであればまだ許せる。子供といえど、プロである以上、それはひとつの仕事というべきであり、それ以上でもそれ以下でもないからだ。
しかし、楽天市場内の店をふくめ現在のオンラインショップで使われている写真の子供たちは、どうみても「うちの子」だ。「うちの子供も絶賛してます!」っていう写真があふれ返っているのが現状だ。
たしかに子供たちもそうすることを楽しんでいるように見える。そこからは幸せいっぱいの家族も透けて見えてくる。そこには何も問題はなさそうだ。
しかしである。
「うちの商品、なかなか売れないんだ。父ちゃんも母ちゃんもがんばっているんだけど、なかなか買ってもらえないんだよ。僕たちが出ることで父ちゃん、母ちゃんに楽をさせてあげられたらいいなあ」
私だけだろうか? それらの写真からはこんな子供たちの健気な声が聞こえてくるような気がするのだ。
そのためそうした写真を見る度、私はなんとも悲しい気分になってしまい、目をそむけたくなってしまうのだ。
それともそのように感じるのは私だけなのだろうか?
たしかに広告戦略上、子供を使うのはきわめて効果的である。
子供の写真があるのとないのとでは売上にも大きな差が出ることは間違いない。
しかしである。それでもである。
子供をダシに使うのはもうやめようよ、と私は言いたい。
いくら儲かるからといって、なんでもやっていいというものではないと思う。そこには踏み込んではならない、 侵してはいけない領域というものがあるように思うのだ。
うまく説明できないけれど、そのような不可侵の領域というのは案外大切な役割があって、それを侵すことは長期的にみて社会全体に重大なダメージを与えることになったりするんじゃないのかなあ、と思ったりもする。
そうして、子供を商売のダシに使わないというのもそうした不可侵の領域のひとつであるような気がするのだ。
そもそも、そうした不可侵の領域がこの世の中から一切なくなってしまったら、どうなるのか? きっとこの世の中は、なんというか味も素っ気もない世界になってしまうように思うんだよなあ‥。
売るためのマーケティングから課題解決のためのマーケティングを提唱する独立系シンクタンク「ミライニウム」を主宰するマーケティング研究者。コピーライター、雑誌ライター、プランナーとして30年以上にわたり、マーケティングの実践および研究を続けている。北軽井沢隣接宣伝研究所所長。