仕事が崩壊する!?
「サラリーマンという仕事はありません」ーー。
これは、往年の名コピーライター糸井重里氏が1988年に作った広告コピーです。仕事とはサラリーマンとして働くことであるという常識を誰もが疑わなかった当時、そもそもサラリーマンなどという仕事はあるのか、と正面から問いかけたこのコピーは多くの人に少なからぬ衝撃を与えました。
あれから四半世紀が経った今日、サラリーマンという言葉はいまやほとんど死語同然となっています。もちろん完全に死語となったわけではありませんが、少なくとも公の場でその言葉を見聞きすることは滅多になくなってしまいました。
なぜそうなってしまったのでしょうか? 背景にあるのは仕事をめぐる環境の変化です。その変化によってサラリーマンという概念を、従来の仕事の枠組みの中で明確に定義づけることが難しくなってしまったのです。
そのことが象徴するように、今は仕事という概念自体も大きく揺らいでいます。サラリーマンという言葉がそうなったように、いまや仕事という言葉そのものに対してもそれはいったい何を意味するのか、と根底から問い直されているのです。
これはある意味、ゆゆしきことです。というのも、ここにあるのは仕事という概念をめぐるたんなる疑念だけでなく、それを取り巻く社会環境を含めた、それもおそらく私たちが歴史上かつて経験したことのない大きな変化だからです。そしてそれは将来、仕事という概念ばかりか、その形態までも崩壊させてしまいかねない大きな変化のはじまりである可能性があるのです。
仕事が崩壊するなどというと、いかにも穏やかではありませんが、私はこれを次のような意味で使っています。
ひとつは、仕事がなくなること、もうひとつは仕事がブルシットジョブ化することです。
どういうことでしょうか?
以下、順に紐解いていきます。
仕事がなくなる
まず仕事がなくなることについてです。
なぜ仕事がなくなるのでしょうか?
最大の理由はAI・ロボットの急速な進化です。識者の予想では、それによって近い将来、多くの仕事がAIやロボットに取って代わられるとされています。つまり、多くの人が仕事を失うということです。
もっとも仕事がなくなったとしてもそれと入れ替わりに新しい仕事が生まれるから全体の仕事は減らないし、むしろ増えるという声もあります。たしかに歴史をみても、似たようなことは何度かありましたし、その度、減った仕事以上に新しい仕事が生まれ、当初予想されたような深刻な事態にならなかったのは事実です。
しかし、忘れてならないのは、今回の変化は以前のそれとは全く異なることです。
昔は、たとえ技術革新によって仕事がなくなっても別の仕事に鞍替えするのはそれほど難しくありませんでした。技術革新の速度が比較的緩慢だったからです。そのため、たとえ古い技術が通用しなくなっても十分な時間をかけて新しい技術を身につけることが可能でしたし、またいったん新しい技術を身につければ、あとは二度と仕事を失うことなく、一生、その技術で食べていくことができたのです。
ところが今回は少々勝手が違います。技術革新の速度が昔とは比較にならないほど早くなっているからです。いまや新しい仕事が登場したと思ったら10年かそこらであっというまに陳腐化し、淘汰されてしまう時代です。そのため、昔であれば、せいぜい一生に一回程度の転職で済んだのが、これからは二回、三回、いやそれ以上の回数、繰り返し転職を迫られる可能性が出てきたのです。
もちろん、若いうちならそれでも問題はないでしょう。けれど、転職というのは年齢とともに難しくなっていくのが普通です。新しい知識や技術を身につけるのは年齢とともにハードルが高くなっていくからです。たしかに技術革新の速度に限界はないのかもしれません。しかし、それに対応する人間の能力には生物学的な限界があるのです。
したがって将来、仕事自体なくならなかったとしても、だからといってすべての人が新しい仕事につけるとはかぎりません。むしろ多くの人がそうした転職競争から脱落し、失業の憂き目をみることになる可能性の方が大きいでしょう。
仕事がブルシットジョブ化する
次に仕事のブルシットジョブ化についてみていきます。
ブルシットジョブというのは、経済人類学者のディビッド・グレーバーが提唱した概念で、「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態」です。もっとわかりやすくいえば、それが何の役に立っているのかやっている本人でもよくわからない、場合によっては明らかに有害無益であると自覚しつつも生活費を稼ぐためにやらざるをえない仕事のことです。
ではなぜブルシットジョブが生まれてくるのでしょうか? 理由はいくつかありますが、最大の理由は雇用による分配にのみ頼った今の硬直した賃金制度にあります。
どういうことでしょうか? 食うためには仕事を作らなければならない現状の仕組みそのものがブルシットジョブを生み出す土壌となっているということです。生活に必要な物資の供給はほぼ満たされているにもかかわらず、お金を得るにはなんらかの仕事をしなければならないため、不要不急の無駄な仕事ーーブルシットジョブーーが際限なく増えていかざるをえないのです。
今後、AIが進化したとしても仕事そのものはなくならないかもしれません。けれど、それらは現実の生活に必要なニーズとはかけはなれた不要不急の仕事である可能性があります。おそらくその多くは、仕事なのか、何かの儀式なのか、あるいはただの遊びなのか、区別することが難しい無駄で無益な仕事ーーブルシットジョブとなることでしょう。
ならば、仮に仕事が崩壊したとして、そのあとの社会はいったいどのような状態になるのでしょうか? 端的にいえば大きな混乱に陥ることが予想されます。失業者が続出し、消費力が低下した結果、経済は回らなくなり、場合によっては生産能力自体毀損されてしまうかもしれません。それに加えて、道徳面や文化面でも悪影響が出てくる可能性があります。ブルシットジョブの蔓延によって、何のために働いているのか、何のために生きているのか、わからなくなる人が大勢出てくるからです。
解決策はベーシックインカムだが‥
では、そうした混乱を避ける方法はあるのでしょうか? あります。
ベーシックインカムです。ベーシックインカムというのは、生活に必要な額のお金を政府が国民一人ひとりに定期的に支給する政策です。ベーシックインカムを導入すれば、そうした問題はかなりの程度、避けることができるでしょう。
それがあれば、たとえ失業しても最低限の生活が維持できるはずです。また毎月決まった額の給付がありますので、消費力の低下とそれによる生産能力の毀損も回避できます。もちろん無駄なブルシットジョブを増やす必要もなくなります。
その結果、労働から解放された人々は金儲けという脅迫観念から自由になり、自分の人生に対する自由な選択肢が得られるようになるはずです。同時に多くの人が自分自身の人生に対して正しく向き合うことができるようになるでしょう。
しかしながら、ベーシックインカムの導入は今後避けられないとはいえ、現実にはまだ先の話です。
では、仕事が崩壊する今後、そしてベーシックインカムが導入されるまでの期間、わたしたちはどうやって食べていけばよいのでしょうか? じつはこのサイトがテーマのひとつにしているのはまさにそのことです。そのあたりについては今後もじっくりと考察を深めていきたいと思います。
売るためのマーケティングから課題解決のためのマーケティングを提唱する独立系シンクタンク「ミライニウム」を主宰するマーケティング研究者。コピーライター、雑誌ライター、プランナーとして30年以上にわたり、マーケティングの実践および研究を続けている。北軽井沢隣接宣伝研究所所長。